小泉八雲の「耳無芳一の話」の英語版。
小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)の
書いた英語の原文を英語で朗読。
怪談話の魅力がつまった、今なお読みつがれる
小泉八雲の代表作「耳無芳一の話」のオーディオブックです!
安徳天皇と平家一族を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮、山口県下関市)を舞台とした怪談。
幾百年か以前の事、この赤間ヶ関に芳一という盲人が住んでいた。
この男は吟誦して、琵琶を奏するに妙を得ていることで世に聞こえていた。
壇ノ浦の戦の歌を謡うと鬼神すらも涙をとどめ得なかったということである。
ある暑い夜、和尚の留守の時、突然一人の侍が現れる。
芳一はその侍に連れられ“大した高い身分の人”の屋敷に琵琶を弾きに行くことになった…。
平家の怨霊にとり憑かれた盲目の芳一を守るため、住職と納所とで芳一を裸にし、
筆を以て芳一の、胸、背、頭、顔、頸、手足…、身体中どこといわず、足の裏に さえも
般若心経というお経の文句を書きつけた。忘れた箇所はないのか…!?
住職の言いつけどおり芳一は、縁側に坐り、迎えの霊が来ても、動きもせず、
口も利かず静かに坐っていたが……。
あまりにも有名な、まさに怪談話の歴史的傑作です!
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小泉 八雲(こいずみ やくも)
1850~1904
パトリック・ラフカディオ・ハーン。1850(嘉永三)年6月27日、ギリシャのレフカダ島で、ギリシャ駐留中のイギリス軍軍医、チャ-ルス・ブッシュ・ハ-ンとギリシャ人の母の間に生まれる。まもなく父母は離婚し母と生別、7歳で父が病没。伯母にひきとられフランス、イギリスで育つが学校で遊戯中に左眼を負傷、失明。伯母の破産後は放浪の末19歳でアメリカへ渡り、ジャーナリストに。1890年、来日。島根県松江で小泉節(せつ)と知り合い、生涯の伴侶となる。この間、日本に帰化、名を小泉八雲と改める。1896年東京帝大教授、1904年早稲田大教授となるが、狭心症の発作により同年9月26日没。著書に「知られざる日本の面影」「日本瞥見記」「怪談」「神国日本」など。