日本の生活に深く分け入った八雲は、日本を深い愛情で見つめ、日本の豊かな自然や風習、伝統文化の奥の深さなど、“日本の心"を精緻な描写をもって全世界に紹介した。
日本の古典や民話、怪談・伝承の類などを取材編集した創作短編集『怪談』より17篇、『骨董』より19篇を収録。
収録作品
『骨董』
幽霊瀧の傳説(でんせつ)
茶碗の中
常識
生霊
死霊
おかめのはなし
蠅のはなし
雉子のはなし
忠五郎のはなし
或女の日記
平家蟹
露の一滴(つゆのひとしずく)
餓鬼
尋常の事
黙想
病理上の事
真夜中
草雲雀(くさひばり)
夢を食ふもの
『怪談』
耳無し芳一の話
をしどり
お貞のはなし
姥櫻(うばざくら)
術藪(じゅっすい)
鏡と鐘
食人鬼(じきにんき)
貉
ろくろ首
葬られたる秘密
雪女
青柳のはなし(あおやぎのはなし)
十六日櫻(じゅうろくにちざくら)
安藝之助の夢(あきのすけのゆめ)
力(りき)ばか
日廻り
蓬莱
小泉 八雲(こいずみ やくも)
1850~1904
パトリック・ラフカディオ・ハーン。1850(嘉永三)年6月27日、ギリシャのレフカダ島で、ギリシャ駐留中のイギリス軍軍医、チャ-ルス・ブッシュ・ハ-ンとギリシャ人の母の間に生まれる。まもなく父母は離婚し母と生別、7歳で父が病没。伯母にひきとられフランス、イギリスで育つが学校で遊戯中に左眼を負傷、失明。伯母の破産後は放浪の末19歳でアメリカへ渡り、ジャーナリストに。1890年、来日。島根県松江で小泉節(せつ)と知り合い、生涯の伴侶となる。この間、日本に帰化、名を小泉八雲と改める。1896年東京帝大教授、1904年早稲田大教授となるが、狭心症の発作により同年9月26日没。著書に「知られざる日本の面影」「日本瞥見記」「怪談」「神国日本」など。